眠らない街、東京を徹底解剖

昔は東京市と呼ばれていた?意外と知らない東京をご紹介

墨田区

墨田区の歴史について

投稿日:2017年7月10日 更新日:

1947年に向島区と本所区の統合により発足した墨田区は、隅田川の”田”と通称”墨堤”の融合から命名されました。
紀元前はまだ海でしたが、長い歳月を経て堆積した土砂が土地となり、やがては居住区となりました。
隅田川の存在は9世紀頃から確認されており、平安時代の故事や和歌にも記されています。
当時は源氏の従者であった葛西氏と江戸氏の影響下に置かれ、16世紀には北条氏の家臣の領土となり、庶民は農業で生計を立てていました。
近世に入った1657年、振袖火事の発生により江戸の町は約10万人が命を落とす大惨事となります。
事態を重く見た幕府は、死者を弔うために回向院を建て、防火堤などの対策も行いました。
また1659年には、両国橋も架けられています。
そして防火計画の一環で今の墨田区南部は武家屋敷の市街となり、有名な赤穂浪士が討ち入りをしたことで有名な吉良邸もここに建てられていました。
ちなみに相撲や毎年開催される花火大会は、近世から続いている日本を代表する文化・風物詩です。
近代の明治時代になると、農業の一方で工業も盛んになります。
経済的に大きく発展しながらも、1923年の関東大震災や、1944~1945年の東京大空襲を通じて破壊と復興を繰り返しました。
激動の時を経て、現在の墨田区に至っています。

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