井草川や善福寺川、神田川といった町を流れる川の岸辺に200ヶ所ほどの遺跡が見つかっている杉並区は、縄文時代から弥生時代にかけて当時の人々によって大きな集落が形成されていました。
時代が中世になっても土地に根付いた世代の移り変わりが続き、庶民は田畑を耕して暮らしを営みました。
当時の文献によると、阿佐谷という名の武将もいたようです。
江戸時代に入ると、徳川幕府によって地域は20の村に分けられます。
各村は今川氏や岡部氏、内田氏などの管轄となりますが、庶民の暮らしは農業で生計を立てるという意味では大きく変わらなかったようです。
ただし年貢の取り立てが厳しくなっただけでなく、助郷や課役など農業以外の仕事を臨時で任命されることも多々あり、人々は酷使され続けました。
そんな辛い暮らしも、明治時代の到来で終わりを告げます。
明治21年に4つの村に分割されたものの、大正12年に発生した関東大震災の影響で各村の人口が激増します。
昭和7年に村が町となり、18年に杉並区が発足しました。
杉並区の歴史について
投稿日:2017年7月20日 更新日: