眠らない街、東京を徹底解剖

昔は東京市と呼ばれていた?意外と知らない東京をご紹介

中野区

中野区の歴史について

投稿日:2017年7月19日 更新日:

旧石器時代、針葉樹林に覆われた極寒の森だった現在の中野区は、縄文時代になってから少し温暖になり、森からの恵みのおかげで人々が暮らせる土地となりました。
その裏付けとなる土器や耳飾りなどが北江古田遺跡から発掘されています。
弥生時代になると稲作の伝来による農耕生活が始まり、集落はさらに発展を遂げました。
弥生時代のものとされる住居跡や方形周溝墓も見つかっています。
鎌倉・室町時代へ移り変わると、神田川や妙正寺川などの川岸にいくつかの郷村が誕生します。
当時の古文書には既に「中野区郷」という名称も出てきています。
区内には供養塔である板碑が多数存在しますが、郷村で亡くなった者を弔う目的があったとされています。
江戸時代に入ると、地域一帯は徳川家康によって12の村に分けられます。
青梅街道も開通し、旅人のための宿が多く開業しました。
また物資の集荷も盛んな土地柄から、醸造業も栄えています。
ちなみに徳川綱吉が発令したことで知られる生類憐れみの令は、現在の中野区が野犬を収容する場となっていたようです。
綱吉が亡くなった後は廃止され、代わりに桃の木が植えられた庶民憩いの場として賑わいました。
江戸が東京府となった明治元年に武蔵県という名称になった地域は、22年に村に分割されるなど管轄元が不安定な状況が続くものの、一方で後のJR中央線となる甲武鉄道がつくられ、中野区という名の駅が誕生します。
そして交通網が更に広がった昭和7年、晴れて中野区発足に至りました。

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