眠らない街、東京を徹底解剖

昔は東京市と呼ばれていた?意外と知らない東京をご紹介

目黒区

目黒区の歴史について

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目黒不動、柿の木坂、富士見台、東山など40ヶ所を超える地域から発見されている縄文遺跡により、現目黒区は先土器時代から居住区だったことが明らかとなっています。
山の手という土地柄が、当時の人々の暮らしやすさにつながっていたことが、遺跡の多さからも伺えます。
しかし稲作が本格化した弥生時代になると、人々は低地へ移動し、目黒一帯は一転して閑散としたようです。
奈良時代には再び人が暮らす土地となり、武蔵国荏原郡と名付けられます。
皆が競うように馬を産み育てていたことから、駒沢や馬引沢、駒場といった地名が付けられ、今に受け継がれました。
江戸時代に入ると、目黒は徳川家将軍が鷹狩を行う場としての存在価値を見出されます。
有名な古典落語『目黒のさんま』も、この習慣にちなんだ噺です。大同3年に建立された目黒不動も、徳川家や一般庶民に親しまれ、門前町は栄えました。
明治時代の大政奉還の影響で一時的に品川県になるものの、4年の廃藩置県により東京府に編入され、11年に荏原郡となります。
昭和2年に東横線が開通したことで、商工業地域として急成長を遂げた荏原郡は、昭和18年に現在の目黒区となりました。

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