石神井川に架かる橋をその名の由来とする板橋は、奈良時代、”武蔵野国豊島郡広岡郷”でした。
現在の豊島区を支配していた豊島氏が勢力を広げて板橋一帯も領地としていたからです。
平安時代後期に、板橋という名称が地域に根付きました。
ちなみに当時の武将だった源頼朝は、滝野川(現・石神井川)の橋を拠点にして戦ったことが『源平盛衰記』に記されています。
さらに戦国時代には、上杉謙信も橋を渡って進軍しており、その史実から交通の要所として重用されていたことが伺えます。
江戸時代に入ると、中山道六十九次の最初の宿場町として栄え、”平尾宿”および”下宿”とも呼ばれていました。
橋は木製の太鼓橋で、歌川広重が描いた浮世絵にも登場しています。
この橋は昭和7年にコンクリート製となり、40年後に架け替えられたのが今も使用されている板橋です。
前身となる板橋区が最初に発足したのが昭和7年ですが、それから複数回の境界変更が繰り返されます。
昭和18年に東京府が東京都に変わったことを機に、現在の板橋区が正式に誕生しました。
板橋区の歴史について
投稿日:2017年7月23日 更新日: