眠らない街、東京を徹底解剖

昔は東京市と呼ばれていた?意外と知らない東京をご紹介

荒川区

荒川区の歴史について

投稿日:2017年7月22日 更新日:

荒川区での生の営みは、約3万年前の旧石器時代から始まっています。
日暮里延命院貝塚は縄文時代、道灌山遺跡には縄文時代から弥生時代にかけて人々が暮らしていた形跡があるからです。
また現在の隅田川が平安時代には荒川として既に流れており、「隅田の渡し」と呼ばれる渡し船が生活手段のひとつとして役立っていました。
中世になると豪族たちが武士団を結成し、地域にも三川や小具といった地名を冠した者たちが台頭します。
荒川の影響により行き交う人も多く、供養に用いられた板碑が今でも各所で確認できます。
近世・江戸時代には、徳川幕府が架けた千住大橋が江戸全域の入り口となり、商いの他に行楽地としても栄えます。
中でも日暮里は「ひぐらしの里」と名付けられ、庶民にとって憩いの場となっていました。
近代・明治時代に変わると、新たに誕生した東京府の管轄となり、工場が建ち並んだ地域は産業が様変わりします。
昭和7年に荒川区が発足してからは、多くの工場が一軒家やマンションに建て替えられ、住宅地として知られるようになりました。

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